私事にはなるが、会社に勤め始めて3年が経過した。
学生の頃は、毎朝仕事に向かい、夜に帰宅するという生活は想像できなかったが、いざ就職すると慣れたもので、いつのまにか家を出て気づけば夜になる生活を繰り返している。
現在2024年3月。
2021年に新卒で入社した会社を2年で辞め、転職後の会社で1年経過した今、ふと1社目での日々を思い返すことがあったため、この機会にその時の状況を記事にしておこうと思う。
こんな人に伝えたい
- 新卒3年目以内での転職を検討している人
- 仕事にやりがいを感じない人
- 会社に行っても仕事が無い人
- 上司との人間関係で苦しんでいる人
変遷
まず私自身の直近の経歴を簡単に伝える。
経歴
3年前に国立の理系大学院(修士)を修了し、大手メーカーに就職。従業員数は2万人以上の会社であったため、同期は数百人いたと思う(多すぎてほぼ認識していない)。
詳細は下記に記載するが、この会社を2年で退職し、今は従業員1,000人規模の会社で働いている。
1社目を辞めた理由
直属の上司がワンマンプレイヤーであり、仕事を振ってくれなかったことが主な原因。
普通入社した最初の方は、上司から仕事を教えてもらい、少しずつ仕事を覚えていくというのが一般的。対して私の直属の上司(以下、上司A)は、全ての仕事を1人でやりたがるタイプ。仕事を表面上だけ教えて、実作業は全て1人で行い、その間私は何もやることがない状態が続く。
ならば、上司Aが行う仕事を横で見させてもらおう。そう思い、後ろについてどういうことをしているのかをメモし、見て学ぼうとした。だが上司Aは、「いいから事務所に戻って参考書でも読んでおいて」と言い放ち、ほぼ放置状態。
そのため、会社に出勤しても何もやることがなく、どうやって1日しのぎ切るかを考える日々が続く。
せっかく大学院へ行ったのに何も活かされていないどころか、給料泥棒していないかと思う日々。
そんなこんな2年目を迎える頃には、1年間の成果を発表する同期も現れ、同期それぞれが自分自身のテーマを持って仕事をしているという情報が耳に入る。
対して私は会社に行っても何もすることがない。
同じ立場に陥った人なら理解できると思うが、忙しいより暇すぎる方が辛い。
思わぬ展開で仕事が舞い降りる
丁度2年目に差し掛かったタイミングで、同じ部署の中堅社員(以下、中堅A)が転職した。上司Aや他メンバー・係長・課長は皆、残念がっており、何とか引き留めようとしたが、次が決まっていたため断られていた。
唯一転職すると聞いて喜んでいたのは私。
同じ部署から1人減ったということはその仕事が私にやってくるかもしれない。その予想通り、2年目の私に少しずつ引き継がせるという流れになる。
やっと自分の持ち仕事ができる。
そう変化し始めた最初の日、中堅Aから少しずつ引継ぎの内容を教えてもらい、実際に業務を遂行しようとしたその時、上司Aが現れ、「こいつはまだ全然仕事を理解していないから俺が一旦引継ぐ、後から代わりに教えておく」。
そう言い始め、中堅Aから引き継ぐ対象が変わる。
理解していないどころか、ほとんどまともな仕事をしてないのだが。というか、まず仕事を早く振ってくれ。
ついに我慢の限界へ
察しの通り、結局引き継いだ業務は上司Aがすべて行うこととなり、私への共有はほとんど無かった。強いていうなら、30分程度でできるデータまとめぐらい。
対して上司Aは毎日21時ぐらいまで勤務していたので、「できることがあれば手伝いますよ」と聞いたこともあった。だが、「若手が何かミスしたら余計に仕事が増えるだけだからいいよ。早く帰って。」と言われ続けた。
若手ってミスしながら成長していくもんじゃないのか。
我慢の限界となった私は2年目の夏付近で、部署異動ができないかを係長・課長へ相談。
更には部署どころか部門ごと変わったっていい。でなければ辞めると言い放つ。入社2年目の若手がそんなことを言い出したので、課長も驚愕の表情。その日のうちに、関係部署の偉い方が集まり、緊急会議が開催される。
事態は思わぬ方向へ
自部署の課長だけではなく、横の部署や部長クラスまで話が広がっていることを知る。自分もまだ若いので、人手不足のポジションに移してもらえるかも。
そう思っていたとき、相談した課長に呼び出され、こう告げられる。
「君の仕事が少なくなっているのは、係長が仕事をマネジメントしていないからだ。よって係長を別部署へ異動させる。」
直接的な表現を避けながら、上司Aとの相性が悪いと伝えたつもりだったが、全ては直属の係長が悪いという結論になり、係長が異動に。しかもその異動先は所謂左遷部署と云われる所で、ほぼ出世が期待できないと噂されるポジション。
自分のせいで何も関係ない係長が異動するなんて。自分を責め始めた私ですが、更なる事態が続く。
余計なことをするな
もちろん、私が部署を変えたいと言ったのは周りにも知れ渡る。しかし、誰も私を気に掛けるどころか、「入ってきて2年のやつが、仕事が無いとかいうな」であったり、「係長もこんな新人が入ってきてかわいそうに」という声が聞こえてくる。
更には、上司Aにも呼び出され、「お前余計なことするな。社会人になって頭おかしくなってるから仕事できるだけせずに早めに帰ったほうが良いよ」と言われる始末。
お前や原因は。そう言いたかったが、周りに味方がいないので、強気にいける訳もなく。
新係長の業務方針で転機が訪れる
そんな中、部署のとある社員が新たな係長に任命される。その人とはほとんど絡みがなく、これからどうなっていくんだろうと不安ばかりが募る。しかし、この新係長は私の真の悩みを把握しており、新体制の初めの打ち合わせでこう告げる。
「これからは若い人にも主体的に仕事してもらい、失敗しながらでもいいから早期に成長させる努力をします。」
加えて部署間での若手の交流を作り、お互いの業務を知って、時には助け合う環境を若手内で作るということを提言。
私の意図とは違いましたが、環境が変わるかもしれない。そう思い、再度ここから仕事を頑張ろうと意気込んだのを覚えている。
またやつが参入してくる
2年目の夏から秋にかけては非常に充実した仕事ライフが続く。
相変わらず余計なことをしためんどくさいやつというレッテルを貼られていたが、日々仕事があるという充実感が勝り、そんな周りの目なんてどうでも良かった。
そんなある日、関係部署の若手と共同で実施していた業務で、製品試作が上手くいかないことが続く。それを聞きつけた上司Aがまた私の元に近づき、「いつまでも同じことをやってても仕方ないから何やっているかを全て教えて。」と言い出す。
まずこの件は、自部署だけではなく関係部署間での業務であり、相手部署の上司も、若手に試行錯誤させて自分達で解決させるという方針であった。そのため、「自分たち(若手)でできる範囲のことは全てやろうと思います。それでも無理なら相談させてもらいます」と強気に伝える。
すると、上司Aは「なら相手の若手の連絡先教えて。俺とその若手でこの試作を進める」そう言いだし、年齢の圧をかけられあっさり敗北。
向こうの部署の若手社員にも、「これからは一緒に仕事できない」と伝え、また1年目の時と同じようにほとんどやることがない日々が続く。
ならまた、新係長に相談すればいいのでは。と思う方もいるだろう。新係長はまだ私の見方の一人だったが、それ以外のメンバーのほとんどが、余計なことを言い出すめんどくさい若手と認識していたため、これ以上行動を起こすことができなかった。
その年の部署の忘年会には私だけ誘われず。というか新人歓迎会も無い部署。大手でもこんな部署があることに驚きを隠せない。部署ガチャ・上司ガチャを両方外した新社会人の末路。
吹っ切れて転職活動へ
ここまでくると転職することに抵抗はなかった。
仕事は満足に与えられなかったけど、自ら仕事を取りに行こうとする頑張りも見せた。
仕事がないときは、一生懸命参考書を読んだり、他人の作業を見てメモを取り続けた。
仕事が与えられる環境を目指すため、上司に相談し、環境改善を求めた。
短い期間だが、他部署の若手と仕事ができ、分からないながらも課題解決に向けて努力できた。
やることは全てやったが、仕事もない、人間関係も終わっているこの部署にいる意味はない。更には部署異動もできない、異動の相談をしても叩かれるだけ。そう思い、転職活動をはじめ、何とかキャリア採用をして頂ける今の会社に出会う。
1社目の会社を2年で辞めているため、何社かは落とされたが、今の会社とご縁があり無事内定。全く悔後悔は無い。
全てを吐き出して退職
転職先が決まり、辞めることが決まってからはこれまでに伝えきれなかったことを全て吐き出した。その対象は新係長だけではなく、課長、さらには部長、一緒に仕事していた関係部署まで全てに伝えた。
課長にはその場で涙を流され、「何も理解できずにごめん。」と頭を下げられる。私も「次に入ってくる新人をあの上司Aの元へ配置してはいけない。というかあの人を部署異動(左遷)すべきです。」そう伝えて会社を去る。
後日、一緒に仕事をしていた関係部署の若手と飲みに行ったが、その上司Aは今の仕事を外され、部署はそのままで、事務作業だけをする業務を与えられているそう。また直属の部下もいないとのことで、少なくとも私の願いは通った模様。
転職を決意するまでの苦悩
国立の理系大学院を修了した私は、「ここから会社で成果を出し、1人の技術者として成功するぞ。」そんな強い思いを持ち、就職した。
だが、働き始めると仕事が無い、出勤しても時間の経過を待つだけの生活。思い描いていた社会人ライフとは全く異なるもの。
このままで良いのかという感情とせっかく入った大手の会社を3年以内で辞めていいのかという2つの感情が入り乱れ、何度も親や友人に相談した。
「何で自分がこんな環境に置かれているんだ。」や「1つ横の部署ならば、1年就職時期がズレていたらば」など、自身の運の無さを嘆き苦しんだ。
変えることができるのは自分だけ
どう嘆いても上司や会社が変わることはない。残るは自分が変わるかどうか。
ここでの変わるというのは転職するということではなく、マインド的な部分。私の話に当てはめると、自分がこのような立場におかれているという現実を受け止め、これまで頑張ったから会社に居続けないといけないや、大手じゃなきゃいけないという考えを捨てるということになる。
私の場合は、自分の考えを変えるまでに2年近く時間を要してしまった。
ですが、すぐに転職に走るのではなく、様々な試行錯誤をして何とか仕事を得ようと頑張ったことは、自分自身でも評価している。
まとめ
今回、私自身が転職に至るまでの経緯をお伝えした。そこで感じた運を受け入れる、変えることができるのは自分だけというマインドはこれからの人生でも活かすことができると思う。
現在似たような状況や状況は違えど辛い日々を送っている人に対して、本記事を参考にして欲しい。
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