スマホが普及し、あらゆる娯楽コンテンツが充実しているおかげで、毎日空きが無く過ごすことができている人も多い。というか、コンテンツが多すぎるあまり消費しきれずに、2つのことを同時にこなすことも多くなっている。(ながらスマホ、ながらご飯)
そのせいか現代人は、寝るときにかなり脳が疲れており、朝の目覚めも良くない。最近はやたらと睡眠時間についてやその効率について語る動画も増えている。
この習慣を改善したい、日々クリアな状態で活動したい。
そんなこんなで色々ネットサーフィンする中で見つけた座禅に興味を持った。座禅というと昔テレビで見たぐらいで、ここ最近では時代の流れか、ほとんど目にしない。
「まあよくわからんけどやってみるか。」その程度のモチベーションで体験申し込みを行い、実際に参加してきたので、その報告をしようと思う。
本記事では実際に体験して感じたことと、”邪念を見送る”という言葉では表し辛い感覚をお伝えしたい。
【結論】感情の整理には役立つ
人は色んなことで思い悩むことが多いが、座禅はそのような自身の感情を整理するのに打ってつけのツールだと思う。
ほとんど瞑想と同じ。なので日々瞑想を行っている人には座禅で得た知識を応用可能。その道のプロにやり方を教えてもらう一環として座禅体験は有効と考える。
座禅とは
座禅体験をするにあたり「座禅とは何か」を流行りのChatGPTに聞いてみた。
座禅(ざぜん)は、仏教の修行法の一つで、特に禅宗(ぜんしゅう)の実践において重要な役割を果たしています。座禅は、静かに座り、呼吸に集中し、心と体を調和させる瞑想法です。この瞑想法は、日本の禅僧や仏教の修行者だけでなく、世界中の人々によって実践されており、その効果は広く認められています。
禅宗?中学の歴史で少し学んだ気がするが、全く覚えていない。いかんせん回答が抽象的なので良く分からない。というか座禅に関してはChatGPTだけではなく、あらゆるサイトで書かれていることが抽象的過ぎるので、何となくやる前から胡散臭さを感じていた。
申し込んだものは仕方ない、そう言い聞かせていざ体験に向かう。
体験場所
場所は京都府にある建仁寺塔頭両足院。
京都の院ということで風情があり、庭園も非常に綺麗。しかし、参加当時はあいにくの大雨。綺麗な庭園を写真に収めたかったのだが。
いざ、開始
大雨の中、予定時間になったので座禅体験開始。
初めに指導者からの座禅の説明、そこから実際に座禅を体験していく。
体内部へ意識を向ける感覚
まず初めに、あぐらをかき、両手を肩の高さまで上げてくださいと指示を受ける。
そのまま1分間維持。途中、腕が疲れてだんだんと高さが下がってくる。下げないようにと指示を受けて何とかキープ。すると、疲れている上半身の中でも右肩と首の間部分に違和感を感じ始める。特に日常生活では何も感じておらず、押しても痛くない部分ではある。
一旦意識し始めると、その部分が脈を打っているように感じ、血流が早く流れているような感覚が。と思ったら1分が経過。
その後、指導者から説明。
普段の生活では、自分の体へ強く意識を向けることはなく、現代人はこの体への意識が薄いことから、身体の異常に気付き辛いよう。言葉で説明されると難しいが、いざ体験をするとその意味が分かる。
外的環境に意識を向ける感覚
続いて、外的環境に意識を向けるように指示を受ける。外的環境とは、木が揺れる音、鳥の鳴く声、建物のきしみなどが挙げられる。
体験時はある意味幸運なのか、雨が降っていたので、意識を外的環境に向けるイメージがつきやすかった。
同じように1分。
普段の生活では、雨が降っているという音は聞こえるものの、その状況を把握するのみで、雨の雫がどうなっているかには目を向けない。しかし実際に外的環境に集中することで、屋根にあたる雨、柱を伝い縁側に落ちていく音、木にあたる雨音、石にあたる雨音など雨という1つの現象の中にも様々な要素が混在していることを感じる。
座禅の真髄へ
集中力が上がっていることを自分自身でも感じる。
ここからスタートしたのは、これまで見たことがある、座禅風景。あぐらをかいて、手をお腹の前で合わせているような体勢になる。
以降、言葉では表しづらいが、意識を集中していく様子をお伝えする。
まず初めに目を瞑り、すぐに思いついたことについて把握。私の場合は、この後「どこにいこうか」ということが思い浮ぶ。その「どこにいこうか」ということを思い浮かぶと同時に「休み明けの会社めんどくさいなあ」「そういえばこの場所の写真まだ撮っていない」という2つが思い浮かぶ。
その2つが思い浮かんでいると同時に次は・・・を浮かんで・・・
あれ、全然集中していない、というか邪念だらけ?と心配していた私ですが、それこそが座禅であると伝えられる。
何も思い浮かばない状況を作り出すのはかなり難しい、大事なのは今自分が何を感じている・思っているかを把握し、理解すること。また自分自身が理解しているさまを客観視し、その感情を過去に見送っていく感覚。
私の理解したイメージとしては、ドラえもんに出てくるタイムマシーンに乗っているときの風景。
あのシーンでは、無数の時計が過ぎ去っていくような演出が用いられている。座禅時の”邪念を見送る”という感覚はこれに近い。
要するに、1つ1つの時計が自身の感情・邪念であり、その中を永遠と過ぎ去っていく感覚。私が考えた具体的なイメージを指導者へ共有することはできなかったが、私自身がその理解で腑に落ちているので良しとする。
体験したからこそ理解できた
上記の通り、座禅は言わば瞑想と同じく精神論・マインドフルネス的なカテゴリに属する。なので、具体的な感覚を養うには実際に体験する他ない。
座禅体験は全国各地の寺院で行うことができるため、一度トライしてみることをお勧めする。
まとめ
今回、座禅体験をしてみての感想と”邪念を見送る”感覚についてまとめた。
あらゆるコンテンツが充実している現代、一度脳の思考を整理きっかけとして座禅体験をお勧めしたい。
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