やっと1週間が終わった!となった休みの日は何をして過ごしますか?
外に出て運動をする人、家の中でゲームに没頭する人、ベッドでゴロゴロするだけの人など色々な過ごし方があると思う。
そこで1つ。私自身が、休みの日を過ごすときにいつも考えてしまうことがある。
「こんなことをしていていいのだろうか」
またそれに派生する形で、以下の考えが続く。
「これって将来役に立つか?」「できるだけコスパ良く」「どれくらい短時間で満足できるか」
この記事では、何でそのように考えてしまうかを整理するために、一度文章を書きなぐっていこうと思う。現代では同じことを考えている人が多いと思うので、意見の共有の場としたい。
【結論】自分が納得いくまで考えるための時間を作る
人ごとに悩みの種類やその量も異なる。なので他人に相談することはできるが、根本的な解決には繋がらない。少しでも解決に近づくには時間をたっぷりととって考えを整理するしかない。
生き急ぐ人にはその時間を取ることすら煩わしいと考える。だが、考え方はスポーツや勉強と同じ。基礎から練習するのと同じく、ゆっくりと考えを整理していくことで、生き辛さや何かに焦るということが軽減されると思う。
以下、私が時間をかけて考えたことをまとめていく。
将来への不安
自身の現状から生み出される不安
まず一つ目が自身の現状から生み出される不安。その現状から予測される将来の姿に不安を覚えてしまうという点。
私の場合の例:) まず20代で慢性骨髄性白血病を患ってしまったこと。治療を続けていれば、今のところ問題はないですが、医療費がかなり高くこれが一生続くとなると金銭面での不安がある。また新卒で入った会社を2年で辞めて転職していること。何とか次の会社は見つかったが、キャリアには傷が入った。大転職時代と言われる現代だが、やはり気にするところはある。
他人との比較で生まれる不安
二つ目は他人との比較で生まれる不安。SNSが普及している現代では、いつでもどこでも他人の情報が確認できる。特に投稿型のサービスについては、その人の良い一部分だけが切り取られているだけにも関わらず、あたかもその人の全てのように感じてしまう。
私の場合の例:) 病気になり、一時期は満足のいく生活を行うことができなかった。対して周りの友人は当たり前のように旅行したり飲み会に行ったりしている。また、一部の友人は仕事で活躍し、20代の内から高い給料で安定した暮らしをしている。
健康・お金・仕事に帰着する
よって「将来への不安」というのは現状から将来を見たとき、他人と比較したときには関わらず、「健康・お金・仕事」の3本柱から成り立つ。
「健康」については、日々の食生活や運動量など、自身で管理できる項目もあれば、遺伝や生まれつきといった自身で制御できない項目もある。残酷ではあるが、ここはどうしようもできない。少なくとも自身で管理できる項目は管理し、後悔のないように過ごす他ない。
健康を省くと「お金」と「仕事」が残る。
まず「お金」に関しては、一生付きまとう悩みになる。日本経済も成長が見込めず、老後問題や税金関係のニュースが日々飛び交っているのも追い打ち。だがそれも日本に住む限り皆平等。結局他人との相対比較がSNSにより容易になってしまったのが、主な原因と考える。
「仕事」に関しては、SNSのない時代から存在する悩み。だが、仕事がお金を生み出す関係上、SNSにより悩みの量が加速したと言わざる得ない。社内での相対比較は勿論だが、社外との相対比較が生まれてしまったのが、焦りを加速させている要因。
まとめると、「(自分の)将来への不安」ではなく、「(他人と比較して見た時の)将来への不安」となっているのが現状。
コスパ重視の生活
よく街中でも「コスパ重視」という言葉を聞く。私もその考えに乗っ取って物事の選択をすることが多い。
重視するようになったのは、日本の貧困化と娯楽コンテンツの充実にある。では普段どれくらいコスパを意識しているだろうか。
私の場合の例:) 日々の食事を自炊すれば、お金も浮くし栄養管理しやすい。節約・時短メニューを検索して最低限で作る。また食事会・飲み会が入った場合、このメンバーに●●円はかけたくないのでパスするなど。
時間面(タイムパフォーマンス:タイパ)も同様で、できるだけ時短に繋がるアイテムを探したり、人によってかける時間が異なるなど。
昔のように何も考えずにただ公園で遊ぶようなことができなくなってきているように感じる。お金と時間が無限大ではないことに気づいていまったことが原因でこのような思考になっているのだろうか。
どれだけ短時間で満足できるか
スマホが普及したことのデメリットの1つ、それが「短期的快楽コンテンツ」の充実。
現在流行っているXやTikTok、Youtubeショート、Instagramの共通点は何だろうか。それは、全て短時間でコンテンツを満了できるという点。少しの空き時間ならまだしも、時間がある時も何十回と画面をスクロールしてコンテンツを消費し続けてしまう。
そのためか、映画や読書など、コンテンツを満了するのに一定の時間を要するものへの興味が薄れてきている。というか要約・解説されたものをYouTubeで見ることが多い。
ゲームに関しても、昔は据え置きハードでTVに向かって遊んでいたのが、今ではソシャゲの方が人気がある。これはすぐ手に取ってアプリを起動でき、一対戦が10分程度で終わってしまうという短時間で満足を得られる効果が大きいと考える。
また上記が習慣となり、特に目的はないが、アプリを起動してスマホの画面を見続けたり、他のことの優先度を下げてどうでも良い動画を見たりと、堕落した日々を送ってしまう。
本来は好きにすればいい、けど時代が批判してくる
それでは、どうでも良いことにお金や時間を浪費したり、堕落した日々を送るのはいけないことだろうか。
ここまで書いておきながら、私はそれでも良いと思う。
聞いた言葉で、「人生は暇つぶし、何かを成し遂げるために頑張らなくて良い」というものがある。本当にその通りで、昔の人間は、太陽が出ているうちは外で仕事・遊び、日が落ちると家族で食事・団欒して寝るだけの生活が一般的。
しかし、今はコンテンツがありふれるあまり、情報量が飽和。また時代の影響か、世間では●●が流行っているだとか、友達は今何してるだとかいった情報はすぐに確認できる。そのため、周りはどんどんと先に進んでいる中、自分は無駄金・時間を使用している、堕落した休日を過ごしていると感じてしまう。
そうなると、本来好きで始めたことに対して、価値を見出せなくなり、もっと有意義なことは何かと常に焦点が定まらない日々を過ごしてしまうことになる。
主要因はやはり他人との比較
結局この悩みは他人と比較することから生まれる部分が多い。著書「嫌われる勇気」にもあるように、全ての悩みは人間関係に落ち着く。
そう理解した上で、上記悩みは解決するにはどうすれば良いか。結論、直接的な解決策は無いというのが私の意見。何故なら、社会で生きていく上で人との関わり合いや、情報の授受は避けられないから。
本当にこの悩みを解決するには、山奥で自給自足をし、電子機器を捨て、原始的な生活をするほかにはない。そのような状態にはすぐには身を置けない今、できることとしては、
日々の時間に「間(ま)」を作り、自分自身の中で振り返る時間を設けることです。
スマホを触れば、すぐに情報をゲットし満足できる。そのような短期的快楽から一旦離れ、自分が納得できる過ごし方をゆっくりと時間を取って考えてみるのがいいのかもしれない。
この記事を書きながら思考錯誤している私ですが、少しでも頭を整理することができたと思う。
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